有馬温泉観光情報 キク・みる・歩く☆ありま温故知新 Presented by 欽山

有馬温泉豆知識

有馬の温泉
有馬の外湯

有馬温泉の起源
有馬温泉の歴史
有馬を訪れた人々


簡単解説!有馬温泉の歴史


■ かなり昔(飛鳥時代)--- 古代の記録

日本書記などの記録によると、舒明天皇(593-641)や孝徳天皇(596-654)が
有馬に行幸され、温泉を楽しまれたようです。

天皇の行幸は決して気軽な一人旅ではなく多数のお供がいるので、有馬は
一時的に大賑わいを見せたに違いありません。

両天皇が有馬のことをどのようにお知りになったのかはわかりませんが、
両天皇の行幸がきっかけとなり有馬の名が知られるようになりました。

【行幸こぼれ話】
舒明天皇は631年9月19日から86日間、孝徳天皇は647年10月11日から82日間と、いずれも長期滞在だったようですね。
孝徳天皇は有馬滞在でめでたく皇子を授かり、皇子は「有間皇子」と呼ばれました。…そう、あの、悲劇の皇子です。


しかし、その後徐々に衰退に向かったと云われています。


■ わりと昔(奈良時代)--- 開創・行基さんの頃

奈良時代、行基という僧がいました。
河内国大鳥郡(現在の大阪府堺市)に生まれ、関西を中心に治水・開墾・架橋
や港の整備など様々な活動で民衆に寄与していました。

そんな行基さんが伊丹の昆陽に農業用のため池を作っていた時、薬師如来様
の導きで有馬を訪れます。
そして724年に温泉寺を建立し、有馬温泉発展の基礎を築きました。

【行基さんこぼれ話】
民衆のために活動していた行基さんは「民衆を扇動する人物」
として弾圧を受けたこともありましたが、聖武天皇が行基さんと
会見されて信任を得た後、朝廷より日本最初の大僧正の位を
贈られます。また、その死後には菩薩の称号が下され、行基
菩薩と称されました。


以来約370年間、有馬は大変賑わったそうで、
行基さんは有馬温泉三恩人の一人として今に語り継がれています。


■ やや昔(平安末期〜鎌倉時代)--- 中興・仁西さんの頃

1097年有馬に天災(洪水?)があり、温泉は壊滅的打撃を受けました。
その後、100年近くは壊滅状態のまま推移していたようです。

源平合戦の頃、奈良の吉野に仁西という僧がいました。
和歌山の熊野権現に参詣の折、荒廃した有馬温泉を再興するようにと夢の
お告げを受けます。

有馬へ辿り着いた仁西さんは、里人を集めて源泉をさらえ、有馬温泉を見事に
復活させました。

【仁西さんこぼれ話】
温泉を復活させた仁西さんは、温泉寺を改修し、十二の宿坊を営みました。宿坊の管理は仁西さんが吉野から連れてきた平家の残党だったと云われています。
この流れを汲むのか、これにあやかって付けられたのか、宿それぞれだと思いますが、現在も有馬には「〜坊」という名の宿がいくつもあります。


仁西さんも有馬温泉三恩人の一人として今に語り継がれています。


■ 昔(安土桃山時代)--- 再建・太閤さんの頃

賑わいの続く平和な有馬温泉も、戦国の動乱期を迎えた頃、
大火に見舞われたり戦乱の余波を受けたりと大きな打撃が度重なります。
また、近畿一円を襲った慶長の大地震も有馬に大きな被害をもたらします。

戦国期には刀傷や矢傷など湯治で療養することに端を発し、
様々な武将達が好んで温泉に出かけた話も多く聞こえますが…

太閤さん(豊臣秀吉)は、再三有馬を訪れて湯治や茶会を楽しむ傍ら、
様々な援助を、そして地震後には大規模な改修工事を行って有馬再建に
尽力しました。

太閤さんも有馬温泉三恩人の一人として今に語り継がれています。

【太閤さんこぼれ話】
地震後に新しく湧き出た温泉に湯山御殿を建造。
工事の完成、有馬温泉での湯治を楽しみにしていたでしょうが、
死去により、湯山御殿はもちろん、改修工事の成果を見ることは
叶いませんでした。
しかし、江戸期において有馬は源泉の改修工事を行っておらず、
太閤さんの改修工事が偉業であったことが窺えます。


■ やや最近(江戸時代)--- 有馬千軒の繁栄

太閤さんの湯治で世に広くその名を知られるようになった有馬温泉。
江戸期には庶民も寺社参詣や湯治に出かけるようになります。

仁西さんの開いた12の宿坊も太閤さんの頃は20に増えていましたが、
全国から多くの湯治客を迎える有馬では、宿坊以外にも小宿が作られ、
有馬千軒と言われるほどの賑わいを見せていたと云います。

今のように宿に内湯があったわけではないので、手拭いを入れた湯籠を
下げて元湯へ出かける湯治客の姿が町内のあちこちで見られたことでしょう。


▲ページのトップへ


有馬温泉 欽山-KINZAN- 兵庫県神戸市北区有馬町1302−4