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【Kobe de 清盛 2012】清盛ゆかりのまちを歩く(13)~和田神社~

早いものでまた一週間。日曜日がやってまいりました。
今日もWeb担まついが神戸のまちに今も残る
清盛や平家ゆかりのスポットをご紹介♪

本日は和田神社をご案内したいと思います。

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地下鉄湾岸線「和田岬」駅から歩いてスグ!
大きな鳥居が目印の和田神社は、和田宮(わだみや)とも呼ばれます。

その昔、和田宮は現在の和田神社の場所より東南、
海岸の松林にあったそうですが、
今では商売繁盛の「えべっさん」として
親しまれるようになった蛭子大神が
淡路島から和田岬に流れ着いたのが始まりとされ、
蛭子の森と呼んで蛭子大神をお祀りしていました。

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江戸初期にこの地の領主であった尼崎藩主が社殿を造営してから
和田神社と呼ばれるようになったそうですが、
明治になって造船所拡大に伴い現在の地に移りました。

ですからきっと、清盛の頃はまだ海岸の松林の中で
和田宮と呼ばれていたのでしょう…。

さて、そんな和田宮。
清盛が大輪田泊の築港に着手して経ヶ島を造るときに、
工事の安全と港の繁栄を祈願し
兵庫七弁天の一社として安芸・宮島の厳島神社より
市柿嶋姫大神を勧請したと云われています。

大河では港の完成に向けて尽力した兎丸が儚く散ってしまいましたが、
こうして勧請された神のご加護を受けて神戸に港が完成するのです。

また、幕末には徳川14代将軍・家茂が勝海舟らとともに訪れたり、
15代となる慶喜が和田岬砲台視察の際に訪れたりと、
激動の時代のまた別のドラマを見守ってきた社でもあります。

ぜひ昔を想い、和田岬へ足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。


さてさて。
今晩放送の大河ドラマ 平清盛 第40回は「はかなき歌」
大輪田泊では日宋貿易も本格化。
清盛は厳島神社に後白河法皇を招いたりなんかして超☆絶好調!
そんな中、後白河サンは今様の歌集「梁塵秘抄」の編纂をはじめますが
愛する滋子が病に倒れてしまいまする(T-T)
今夜もどうぞお見逃し無く!

Photo & Written by Web担まつい@欽山

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